20190426 哲学の授業(森田ゼミ)
4/27(金)にゼミの時間で教育開発支援機構の須長先生を講師にお迎えして哲学の授業がありました。
今回はそのことについて振り返っていきます。
今回のゼミは普段と内容も違うのですが、4年生のゼミの先輩や2年生のゼミ見学の子たち、今後行われる文学の授業の先生もいらっしゃってて、人数も多くて全体的に活発だったように感じました。
須長先生が仰られていたことで印象に残ったことをまとめます。
須長先生の話
思考力の話から
思考力を高めるために大事なことは、問いを立てるということです。
答えがあると思われているモノに問いを立てるのです。
単純なことを言うと、1+1=2という計算にも、なんで1と1を足したら2になるの?という感じで疑問をもつのです。
考えるきっかけには、それに対しての「?」という疑問があります。
この「?」が思考力を鍛えるうえで重要です。
思考力を高めるのはトレーニングと一緒で、日頃から常々疑問を持つことが大事なのです。
次は知識の話
人間はある知識を身につけてしまうと他を弾いてしまうものです。
似たようなものは吸収して、違うものは弾いてしまいます。
例に例えると頑固な人がそうです。ご老人とかでも頑固な方とかいますよね。若者にもいますけど、、そういう方たちは自分の中に[知識+価値観]というのが出来上がってしまっていて、ほかの意見を聞かずに拒絶してしまったりされます。
高齢ドライバー問題で、免許を返納するしないにもコレが関わっていそうですね。「私はまだ全然元気だから、判断力も全然あるから、なんら衰えてないから」とそういう出来上がってしまっているモノがあるから免許を返納しない人がいたりするのですかね。。
さらにこの知識の話で私は日韓問題なんかを思い出しました。竹島問題や慰安婦問題なんかでも、我々は日本に住んでて日本人だから日本側の主張を持つ人が多いと思います。それは日本側の言い分の知識が頭に入って出来上がってしまっているからそうなるのです。だから韓国の言ってることはおかしい、あっちが絶対に間違ってると思うのです。ここでは、相手側の主張、言い分をしっかり吸収しないといけないと思いました。
少し長くなってしまいましたが、人間は知識を得ると同様の知識ばかりを入れてしまう。自分の中に[知識+価値観]が出来上がると合わないものを弾くのです。
だから、1つではなく色んな人の話を聞いたり読んだりすることが大事なのかなと考えました。
利己主義
本題の「利己主義」に入っていきます。
私たちは4人班で考えました。
最初に1人ずつ利己主義についての感想と賛成か反対かを言い合って、それからはずっと考え続けました。
正直班全体としてしっかりとした意見はまとまらなかったのですが、1つ生まれたのが「利己主義では、何もかもその根底には自分があるというが、いちいちそこまで考える人はいないのではないか」というものです。
善い行動を1つするのに、自分の思考の根底まで遡る人なんているのかなと。
燃える家の中に自分の子どもがいたとします。その中に自分が入っていき助けようとしたとします。大抵の人は「自分の子ども」を思う気持ちが根底だろうと思うのですが、利己主義では自分の子どもの「自分の」が根底というわけですよね??
そこまでいく人いますかね?と疑問を抱きました。
「自分の子ども」という根底からさらに1つ先に行って「自分の」まで辿りつく人なんていんのかな〜となりました。
それが自分たちの議論の末の結果です。
まとめ
今回の授業で、疑問を持つことの大切さや柔らかい頭を持つことの大切さを感じました。
森田先生が仰っていたけど、相手にインタビューする時でも相手の回答に疑問を持つことも大事ですね。
例えば相手が「いい雰囲気ですね」と回答した時も、「何がどういうわけでいい雰囲気と思ったのか、いい雰囲気にはどういう基準があるのか」とかそんな感じで疑問を持つことです。
また議論をする時なども、自分の知識だけで自分の意見だけを通さずに、相手の持ってる知識や意見を取り入れて答えを作っていくべきだと思いました。
これからプロジェクトや就活が始まってく上で自分に役に立つことが学べた気がします