マツオカリョータブログ1.0

福岡大学商学部。このブログが意味あるものになると信じて

3年ゼミ「哲学」〜利己主義をどう思うか〜

3年生でのゼミが始まりました! 

 

今年度は「無駄だと思えること」を積極的にやる方針で、哲学、旅、文学、音楽、美術など普段生きていてあまり役に立ちそうにないことをあえてするそうです。それらは視野を広げたり、問いを立てるための素材になる可能性があるものです。

 

第1弾は「哲学」です

 

お題はマーク・トゥエイン作の「人間とは何か」

 

彼は「トムソーヤの冒険」で有名な著者ですが、実際には暗い世界観を持っていたそうです。

 

この「人間とは何か」の簡単なストーリーは、「人間の行動はみな利己的だ」という考えを持った老人と、「他人のために行動することだってある!」と考える若者の対話です。

 

この話での老人の立場は「どのような行為も、結局は自分のため、自己満足のため、自我の統一性を守るためのものだ」と考える立場で「利己主義」と呼ばれます。

利己主義によれば、どれだけ他人のために見える行為(例:火事場で取り残された子を、通りすがりの人が身を挺して助ける)も、結局は自分自身のために過ぎない。たとえ本人が、どれだけ他人のためだと思っている行為も、結局のところは自分のための行為というものです。

 

 

今回の課題は利己主義を認めてしまって良いのか?というものです。

問いは3つです

  1. 利己主義についてどんな感想を持ちましたか?
  2. その理由はなんですか?
  3. 利己主義は正しいと思いますか?(正しいと思う場合、利己主義を認めてしまうことでわれわれの倫理や道徳がどうなるかも述べてください。正しくないと思う場合、なぜ正しくないか反論を述べてください)

 

 

1.利己主義についてどんな感想を持ったか

感想じゃないかもしれませんが、私は図星を突かれた感じがしました。

言ってることは確かにそうだなと。実体験からも納得している自分がいました。例えば、善い行動をした後でも、その都度「いいことしたわ〜」と内省する自分が常々いるので(笑)

ただ、全てがそうではないよなとも思いました。

 

2.その理由はなんですか?

図星を突かれたように感じたのは、自分が善い行動をした時に「いいことしたな〜」と考える自分がいることを気づかされたからです。

しかし、私は誰かがモノを落とした時や重たい荷物を1人で運んでいる時などは出来るだけ手助けするのですが、別にその行為に移るまではなんとも思ってません。カッコつけて言ってるとかじゃなくて、ほんとになんも思いません。ただやることやっただけというか、こんなんで自分の為なんてハナから思っていませんしね、、。ただ、その行動を終えた後にはやはり「いいことしたわ〜」と考える自分はいます(笑)これは老人からすると結局は利己主義なのでしょうか…私にはわかりません。

それと、全てがそうではないと思ったのは利己主義は立場に依存すると考えたからです。対話その3の話で例えると、老人からすれば兵士が死んだのは兵士としての精神を満足させたからであって、親としての精神からだとどうだっただろうかか。親としてなら自分の子どもや妻には利己主義抜きで、助かって欲しいと思うのではないだろうかと思います。

でも老人からしたらこれも親としての精神を満足させたかったからとか言われるのかな…

 

3.利己主義は正しいと思いますか?(正しいと思うのなら、利己主義を認めることで我々の倫理や道徳はどうなるのか、一方、正しくないと思うのなら反論を述べよ)

私は利己主義は正しくないと考えます。なぜなら利己主義は環境や立場に依存すると思うからです。環境や立場によって利己主義という考え方は簡単に崩れると思います。もしその当事者の時にあなたが相手の他人の場合と親族の場合、ましてやあなたが親の場合だとしたら感情や考えも変わってくるでしょう。言い換えると利己主義が働くときと働かないときがあると思います。そのような不安定なものを正しいとは言えないというかそんな感じがします。。

というより、利己主義が正しくて良い場合もあれば悪い場合もあるし、利己主義が正しくなくて良い場合も悪い場合もあると思います〜。

 

 

最後に話は少しズレるかもしれませんが、この話は高校生の時に受けた全盲の人の講話を思い出しました。

彼は目が全く見えないのですが、ラーメンを頼んだ時に割り箸が割られて出てくることがあるそうです。従業員の方からしたら気配りかもしれませんが、彼は割り箸を自分で割るのが好きだから割って欲しくないそうです。従業員からしたら相手のために思った行動だけど当事者からしたらありがた迷惑だという話です。

なんか利己主義の話と近いものがあるな〜と思いました。